母の認知症(その79) : 小春日和
- 2016/12/13
- 00:04
昨日、久し振りに両親とドライブした。
近所での食事にはよく行っているのだが、遠出のドライブは久し振りだった。
実は、僕は新しい仕事が見つかって、今日から仕事を始めることになったので、年内、両親と近所で一緒に食事することは出来ても、遠くまでドライブに行ったりすることは出来ないだろうと思ったので、「今年のドライブ納め」のつもりで焼津までドライブした。
焼津では、港沿いの「小川港魚河岸食道」で食事をして、その後、島田市の観光名所である「世界一長い木造歩橋」の蓬莱橋を歩いて渡った。

※小川港魚河岸食堂の「マグロカツオ定食」。マグロもカツオも焼津で水揚げされる代表的な魚なので、美味いのは当然。1000円という値段も魅力的。詳細は上の青字 ↑ をクリック。
最近、母を見ていて思うのは、会う度に少しずつ「認知機能が崩壊して来ている」ということだ。……ま、だから認知症なんだけど。
昨日も、ドライブの帰りにコンビニによって、三人でコーヒーを飲んだ時、母が「コーヒーの飲み方」を忘れてしまっているのに気が付いた。
別に意地悪をするつもりはないのだが、僕は「母が助けを求めて来ない場合」で、なおかつ、「母が何か粗相をしても誰かに迷惑を掛けない場合」は、母の手助けはなるべくしないことにしている。
「本人が出来ること」、また「出来ると思っていること」は極力本人にやらせた方が、本人のためにも、周りのためにもなる……と思う。
昨日も、コンビニの店頭で、母にコーヒーのカップを手渡した後、彼女がどうやってコーヒーを飲むかを観ていた。
すると、彼女はコーヒーにミルクを二つ入れ、掻き回して口に運んだ。ちょっと首を傾げた後、もう三つミルクを入れて、また掻き混ぜて飲んだ。コーヒーはもうほとんど乳白色だ。
「これ、全然甘くないんだけど、どうして?」と母が尋ねて来たので、「砂糖はこれだよ」とスティックシュガーを渡すと、「あ、これが砂糖なの?」と母。まるで生まれて初めてスティックシュガーを見たような顔をしている。
コーヒーに砂糖とミルクを入れて飲む手順や、どれが砂糖でどれがミルクかが解らなくなって来ているようだ。
コーヒーに限らず、母は「色々なもの」が解らなくなって来ているし、「色々なこと」の手順やルールを忘れつつある。

※蓬莱橋。何だか時代劇に出て来そうな橋だなあ…と思っていたら、僕の好きなドラマ「JIN-仁」でこの橋がロケに使われていたらしい。
しかし、それでも、最近、母と一緒にいてあまりストレスを感じないのは、母が「自分が色々なことが解らなくなって来ていること」を受け入れて、変な抵抗をしたり、自分の認知機能の欠落を取り繕ったりしようとしないことだ。
周囲を悩ませた彼女の中の「棘」のようなものも、感情のこじれや爆発も、認知機能と共に溶解しつつあるのかもしれない。
僕が浜松に越して来て以降の印象だが、母はだんだんと素直というか穏やかになって行っている。
自分が解らないことを、素直に受け入れ、認め、「教えて」とか「手伝って」と言って来る。彼女に頼まれるままに教えたり手伝ったりすると「ありがとう」と素直に喜ぶ。
「解らないから教えて」とか「出来ないから手伝って」と頼んで来る母親の笑顔は、子供のようで可愛いらしい。
今日も、1キロ近い長さの蓬莱橋(正確には897.4メートル)を父と手を繋いで嬉しそうに歩く母を見て、「ドライブに来て良かった」と思った。
しかし、父親に言わせると、「物盗られ妄想」は続いているらしく、相変わらず「娘(妹)が、家に忍び込んでは色々なものを盗んで行く」ということをことあるごとに父に訴えているらしい。
彼女が、このまま穏やかになって行くのか、あるいは反動でまた感情の拗れや起伏の激しい時期が来るのか……医者ならぬ僕には解らない。恐らく医者でも解らないだろう。
出来れば、このままズッと「穏やか」でいて欲しい。
……ま、そんなこちらの都合や思惑通りにはことは運ばない……んだろうけど。
近所での食事にはよく行っているのだが、遠出のドライブは久し振りだった。
実は、僕は新しい仕事が見つかって、今日から仕事を始めることになったので、年内、両親と近所で一緒に食事することは出来ても、遠くまでドライブに行ったりすることは出来ないだろうと思ったので、「今年のドライブ納め」のつもりで焼津までドライブした。
焼津では、港沿いの「小川港魚河岸食道」で食事をして、その後、島田市の観光名所である「世界一長い木造歩橋」の蓬莱橋を歩いて渡った。

※小川港魚河岸食堂の「マグロカツオ定食」。マグロもカツオも焼津で水揚げされる代表的な魚なので、美味いのは当然。1000円という値段も魅力的。詳細は上の青字 ↑ をクリック。
最近、母を見ていて思うのは、会う度に少しずつ「認知機能が崩壊して来ている」ということだ。……ま、だから認知症なんだけど。
昨日も、ドライブの帰りにコンビニによって、三人でコーヒーを飲んだ時、母が「コーヒーの飲み方」を忘れてしまっているのに気が付いた。
別に意地悪をするつもりはないのだが、僕は「母が助けを求めて来ない場合」で、なおかつ、「母が何か粗相をしても誰かに迷惑を掛けない場合」は、母の手助けはなるべくしないことにしている。
「本人が出来ること」、また「出来ると思っていること」は極力本人にやらせた方が、本人のためにも、周りのためにもなる……と思う。
昨日も、コンビニの店頭で、母にコーヒーのカップを手渡した後、彼女がどうやってコーヒーを飲むかを観ていた。
すると、彼女はコーヒーにミルクを二つ入れ、掻き回して口に運んだ。ちょっと首を傾げた後、もう三つミルクを入れて、また掻き混ぜて飲んだ。コーヒーはもうほとんど乳白色だ。
「これ、全然甘くないんだけど、どうして?」と母が尋ねて来たので、「砂糖はこれだよ」とスティックシュガーを渡すと、「あ、これが砂糖なの?」と母。まるで生まれて初めてスティックシュガーを見たような顔をしている。
コーヒーに砂糖とミルクを入れて飲む手順や、どれが砂糖でどれがミルクかが解らなくなって来ているようだ。
コーヒーに限らず、母は「色々なもの」が解らなくなって来ているし、「色々なこと」の手順やルールを忘れつつある。

※蓬莱橋。何だか時代劇に出て来そうな橋だなあ…と思っていたら、僕の好きなドラマ「JIN-仁」でこの橋がロケに使われていたらしい。
しかし、それでも、最近、母と一緒にいてあまりストレスを感じないのは、母が「自分が色々なことが解らなくなって来ていること」を受け入れて、変な抵抗をしたり、自分の認知機能の欠落を取り繕ったりしようとしないことだ。
周囲を悩ませた彼女の中の「棘」のようなものも、感情のこじれや爆発も、認知機能と共に溶解しつつあるのかもしれない。
僕が浜松に越して来て以降の印象だが、母はだんだんと素直というか穏やかになって行っている。
自分が解らないことを、素直に受け入れ、認め、「教えて」とか「手伝って」と言って来る。彼女に頼まれるままに教えたり手伝ったりすると「ありがとう」と素直に喜ぶ。
「解らないから教えて」とか「出来ないから手伝って」と頼んで来る母親の笑顔は、子供のようで可愛いらしい。
今日も、1キロ近い長さの蓬莱橋(正確には897.4メートル)を父と手を繋いで嬉しそうに歩く母を見て、「ドライブに来て良かった」と思った。
しかし、父親に言わせると、「物盗られ妄想」は続いているらしく、相変わらず「娘(妹)が、家に忍び込んでは色々なものを盗んで行く」ということをことあるごとに父に訴えているらしい。
彼女が、このまま穏やかになって行くのか、あるいは反動でまた感情の拗れや起伏の激しい時期が来るのか……医者ならぬ僕には解らない。恐らく医者でも解らないだろう。
出来れば、このままズッと「穏やか」でいて欲しい。
……ま、そんなこちらの都合や思惑通りにはことは運ばない……んだろうけど。
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